笑い
幼い時は歩幅が短いため、階段を踏み外さないように用心していたものだ。特に段差がある上り下りは殊更だった。ところで、高低差に着意するのは身体能力の低い動物である人間くらいかと思ったら、そうでもないらしい。中にはこんなわん公もいるわけで。
あなたの相棒がすっかり酩酊(めいてい)し、路上でぐうぐう寝ていたらどうするだろうか。手荒にたたき起こすか、安全な場所ならほったらかす選択肢もあるはずだ。しかし、このわん公は一味違う。なぜなら、身をていして飼い主を守ろうとするからだ。
赤ちゃんは好奇心の塊。とにかく「興味津々」を追い掛けたがる。この日は家族の一員であるわん公に夢中な様子。はいはいしながら懸命にわん公を追跡する赤ちゃん。一方、気配りをしながら、赤ちゃんを喜ばせようとしているわん公。双方の愉快な攻防に注目だ。
1枚、2枚と数えるのはお皿ではなく、釣り銭の紙幣を渡すコンビニ店員だ。日常的な光景だが、世界各国では一体どのような方法で数を読むのだろうか。ひとまず各国代表がお国柄の表れた勘定方法を披露してくれるので見てみよう。
大リーグの球場では内外野席を問わず、グローブ持参で応援しているファンが日本よりはるかに大勢いる。なぜなら、打った球を観覧席で捕球すれば、大リーグ公式球をもらえるからだ。ところが、違った形で美技を見せ付けた女性がいたようで。
普段は見向きもしない競走でも、懸賞がかかると途端に熱気を帯びてくるもの。賞品や賞金のため、なりふりなんて構っていられない。どんな障害が行く手を阻もうとも猪突猛進あるのみだが、くれぐれも安全第一だ。チーズが伸びるのはいいが、人間だと一大事。
ちょっとした空き時間でもスマートフォンを確認するなど、現代人は常に何かに没入している印象だ。そのため、傍らの事変にすら「我関せず」を頻繁に目撃してしまう。ところが、周囲の人々が不意に完全に止まったら、さすがに気にせずにはいられないはずだが。
世界的にも人気が上昇している愛嬌(あいきょう)満点の愛玩犬フレンチブルドッグ。フレンチの名が付くとなんとなく上品や洗練を連想してしまいがちだが、その実態はどうなのだろうか。あるフレンチブルドッグの起床から就寝までを観察してみよう。
現代は暖衣飽食の時代である。衣食足りて礼節を知るとはよくいったもの。公共の場で迷惑をかけないのは当然の習いとして知られている。ところが、透かしっぺのつもりで放った一発が爆鳴だったら赤っ恥をかくはずだ。そして、周囲の反応はどうだろうか。
誰もがけんかを目撃したことはあるはずだ。当事者になっても決して手を出さず、穏便に済ませたい。しかし、身内や自らに危害が加えられるなら話は別だ。武力行使も視野に入れざるを得ない。ただし、人を見た目で判断すると痛い目に遭うから油断禁物だ。
映画の影響でビリヤードが爆発的に流行した1980年代。待ち時間が2時間を越えるのもざらだったそうだ。ボウリング場にはビリヤード台や卓球台が併設されていることがあるので、存在は誰もが知っているはずだ。しかし、「玉突き猫」の誕生は知る由もなかった。
秋葉原はオタクの聖地としても名高い。コスプレを至る所で目にするので「別世界」と紹介されほどだ。最近では扮装(ふんそう)する文化が海外にも広まりつつあるらしい。外国人が日本に興味を持つ機会が増えるのは日本人として喜ばしい限りだ。
愛犬家が犬を愛してやまない理由の一つは一度信頼関係を築き上げたら、飼い主に対して忠誠を尽くし切ってくれることだろう。そして、あらゆる手段を使って飼い主からの愛情をほしがるのが実にかわいらしい。ところが、あえて無視したらどうなるのだろうか。
出産は人生の一大行事である。そばにいたなら固唾(かたず)をのんで見守る。しかも、病院ではなく緊急出産なら、一段と張り詰めた雰囲気になるのは必至だ。そして、無事に出産できたときの感慨もひとしおに違いない。ただし、産まれてきたのは子犬なのだが。
CMをはじめとする映像作品に対する国際的なコンテストは各地で行われている。その中でも好評を博す常連がタイである。さすが「自由の国」と称されるだけあって、滑稽なものから感動的なものまで表現力の幅が広く、思わず見入ってしまう名作ぞろいなのだ。
家族にとって愛犬はかけがえのない存在。だからこそ有り余る愛情を注ぐ。しかし、動物だから人間と同じように過ちを犯す。やらかしてしまった愛犬に対して、愛のむちをどのように与えるのだろうか。人間社会にも合致する「やりとり」に注目だ。
飼い主に有りっ丈の愛情を表現してくれる愛犬。その愛くるしさときたら筆舌に尽くし難い。そんな家族の一員だからこそ、ついつい増長してしまい、からかってしまいたくなるもの。そして、滑稽な行動にも癒やされ、愛犬との距離はさらに縮まっていくはずだ。
食べ物が想定外の味だったら、辛くて舌を出したり、酸っぱくて口をすぼめたりしないだろうか。これは脳内で「塩味・酸味・甘味・苦味」に対する準備がないから起こること。では、犬が未知なるレモンを食べたら、どうなるのだろうか。
ちょっかいを出したり出されたりは年がら年中見る光景だ。それは人間同士ではもちろんのこと、共に生活する愛玩動物と人間でも意思疎通の一環として行われる。それでは、性格がまるで異なる犬と猫の間でも成り立つのだろうか。
日本では「安全はただ」と評されており、事実凶悪犯罪は年々減少している。しかし、連日陰惨な犯行が報道されると不安になるもの。しかも、一部の犯行の動機が不透明だから、不気味さを浮き彫りにする。この動画のような事件が起こらないのを願うばかりだ。
空気の読めないお調子者には困ったものである。それはどうやら人間だけに限らず、動物の世界でも共通らしい。相手の様子をしっかり見極めた「さじ加減」が大切なのだろう。本気で怒らせてしまったら、このわん公のように痛い目に合うからだ。
老若男女が自宅のトイレで用を足す。誰からも干渉されず、密閉された一人っきりになれる場所。たとえてんてこ舞いの忙しさでも、トイレでは悠々閑々でありたい。ところが、こんな不意打ちをされたら、「大なり小なり」びっくりするに違いない。
誰もがささいなことにいら立てを覚えてしまうはずだ。その時点では腹の虫が承知しなかったり、歯ぎしりしたりしてしまうものだ。しかし、振り返ってみると、ほとんどは取るに足らないようなことばかり。そんな今なら笑えそうな「あるある」がこちらだ。
珍しく雪が降った日には段ボールを携えて、土手の上から下まで滑り降りるのが楽しかったのを覚えている。勢い余ってお尻を強打することも多々あったが、手軽に遊べて愉快痛快だった。この動画の女性たちも同様の爽快感を求めたのかもしれない。
冬になると雪の有無に関係なく、サンタクロースや雪だるまの像を目にする機会が増える。季節柄を反映したのものであれば、違和感を覚えることはない。しかし、像がふいと動き出したら、思わずのけ反るはずだ。そんな仕掛けへの反応で楽しませてもらおう。
音楽でもダンスでも静寂の時がある。これから最高潮を迎えるために、準備しているかのような時間だ。ひっそりした中にも緊迫した空気はしっかりと保たれ、観衆は感動を心待ちにしている。ところが、その前に度肝を抜かれた出来事があったのだ。
誰しもが使い慣れていないものに対して、警戒心や恐怖心を抱く。特に人体に有害で「毒」と表示されるような危険物だったらなおのことだ。触れることはおろか、近づくことすら回避するのが無難だと考えるはずだ。しかし、事故を眼前にしたらどうなるだろうか。
幼少のころ、足の速さと並んで蛮勇を奮う子どもが仲間内で英雄視される傾向はなかっただろうか。その「間違った勇気」がやらかしたことといえば、本当にくだらない頓痴気なことばかりだ。どうやらそれは洋の東西と年齢を問わずに存在するようだ。
お風呂やプールに入っていると、特に快適というわけでもないのに外に出るのが面倒になることがある。このような感覚は泥沼においても当てはまるのだろうか。本動画に登場する「お騒がせ犬トビー」の例を基に検証してみよう。
食事のときに仲間たちと分け合うべく注文したら、料理の個数が人数分ないことがある。こんなときは大抵機転を利かせて切って分けるか、誰かが遠慮することで解決するだろう。ところが、オオカミの場合はどうだろうか。人間のように、うまくいけばよいのだが。