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気味の悪い生き物ほど食べると美味?ぷくっと膨れたあの魚

淡泊なフグの白身がおいしいてっちり

外食でなじみのない料理を注文するのに渋った経験はないだろうか。その食べ物の生きた姿形が気色が悪ければ殊更のことだ。とはいえ、見た目に反して食してみれば意外においしいものも少なくない。日本人が食すあの魚もぴったり当てはまるはずだ。

フグを手際よくさばく料理人たちの早業

水槽から1尾のフグ*1がすくい上げられる。他の魚に比べてぷっくりと膨らんでいる。加えて、四角く突き出た口に離れた両目である。よく似た知り合いがいるかどうかは抜きにして不気味と形容しても差し支えないフグの見た目である。

ところが、このフグは癖がなく、とにかくうまい。てっさ*2だけでなく、骨周りを唐揚げや寒い日のフグちり*3も絶品だ。そして、お酒好きなら日本酒にフグのひれをあぶって入れるひれ酒も忘れられない。

まな板に上げられたフグは料理人の無駄のない手さばきによって瞬く間に解体されていく。フグは種類によって毒性のある部位が若干異なるが、フグ調理師免許を持つ料理人にかかればたやすいもの。よどみない手つきでフグをおろしていく。白身の部分からはてっさ、皮からはフグ皮ポン酢を作り上げる。その他の部分は主菜のフグちりの具材になったのだろう。

見ているだけで食べたくなる「フグ尽くし」ここにありである。

フグと日本人の長い関係

薄くおろされたてっさ

フグを食べる習慣が始まったのは2500年くらい前の中国*4だ。この当時から中国では川フグを食べる習慣があったようだ。

日本*5でフグを食べるようになったのは縄文時代*6からのようだ。貝塚からフグの歯や骨が発見されているため、当時から食されているのが判明したという。

そして、安土桃山時代*7にはフグに当たって死亡した武士が相次いだのを受け、積極的に食べられなくなったものの、明治*8になって伊藤博文*9氏がフグ食を解禁し、日本全国に広まり始めた。

現代でも日本人がフグを食べることに対して異論を唱える人が世界中にいるそうだ。一方、「毒のある魚」のフグ料理に興味を持つ外国人も増え、来日観光客が食す機会も増えてきているそうだ。フグが世界中から市民権を獲得する日が近未来にやって来るかもしれない。

フグのようにぷくっと膨れてすねるくらいならまだしも、毒舌をばかり振るっているといつか嫌われるからご用心を。

(出典:YouTube

*1:【河豚・鰒】(古くはフク)フグ科とその近縁の硬骨魚の総称。多くは体は肥り、背びれは小さく、歯は板状で鋭い。攻撃されると、腹部を膨らますものが多い。肉は淡泊で美味、冬が旬であるが、内臓などには毒を持つものが多い。マフグ・トラフグ・キタマクラ・ハコフグなど。かとん。ふくべ。ふくとう。ふくと。〈 冬 〉。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*2:(鉄砲の刺身の意)河豚(ふぐ)の刺身の異称。主に関西でいう。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*3:フグのちり鍋の略。フグの中落ちやあらに、豆腐・野菜などを加えて昆布だしで煮、ポン酢醬油をつけて食べる鍋料理。てっちり。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*4:東アジアの国。きわめて古い時代に黄河中流域に定住した漢民族の開いた国で、伝説的な夏王朝に次いで、前16世紀頃から殷王朝が興り、他民族と対立・統合を繰り返しつつ、周から清までの諸王朝を経て、1912年共和政体の中華民国が成立、49年中華人民共和国が成立。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*5:日本列島(北海道・本州・四国・九州および付属島嶼)および伊豆諸島・小笠原諸島・南西諸島から成る国家。神武天皇建国の地とする大和(やまと)を国号とし、「やまと」「おほやまと」といい、古く中国では「倭」と呼んだ。中国と修交した大化改新頃、東方すなわち日の本の意から「日本」と書いて「やまと」とよみ、奈良時代以降、ニホン・ニッポンと音読するようになった。現在も、よみ方について法的な根拠はないが、本辞典においては、特にニッポンとよみならわしている場合以外はニホンとよませることにした。4世紀に統一国家が成立し、それ以後、古墳・奈良・平安各時代を経て、鎌倉幕府の創立となり、政権は公家を離れて武家に移り、室町幕府に引き継がれる。ついで織田・豊臣(安土桃山)政権が生まれ、さらに江戸幕府265年間を経て明治維新により武家政権が終わり、やがて立憲君主国となる。琉球処分により沖縄県を設置、日清・日露戦争と第一次大戦により台湾・樺太を領有、朝鮮を併合、南洋群島を統治して全領土は約67万平方キロメートルに達したが、太平洋戦争に敗れ明治以降の新領土のすべてを喪失、ほぼ江戸末期の原形に復した。面積37万7800平方キロメートル、南北に長く山地が多い。人口1億2709万(2015)。首都は東京。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*6:縄文土器を指標とする時代。土器の変化によって草創・早・前・中・後・晩の6期に分け、放射性炭素年代によると、紀元前1万年前後に始まり、前4世紀頃まで継続して、弥生(やよい)時代と交代する。主に竪穴(たてあな)住居から成る集落を構成し、採集・漁労・狩猟の採取経済の段階にあり、農耕の存否については議論がある。遺跡・遺物は千島から沖縄まで分布している。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*7:織田信長・豊臣秀吉が政権を握っていた時代(1573~1598年)。または信長入京の1568年(永禄11)から関ヶ原の戦で徳川家康が勝利した1600年(慶長5)まで。織豊(しょくほう)時代。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*8:[易経(説卦)「聖人南面して天下に聴き、明に嚮(むか)いて治む」]明治天皇在位期の年号。慶応4年9月8日(1868年10月23日)即位により改元。明治5年12月2日(1872年12月31日)まで陰暦、翌日から陽暦を採用。明治45年(1912)7月30日大正に改元。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*9:明治の政治家。初名は利助、のち俊輔。号、春畝。長州藩士。松下村塾に学ぶ。討幕運動に参加。維新後、藩閥政権内で力を伸ばし、憲法制定の中心となる。首相・枢密院議長・貴族院議長(いずれも初代)を歴任、4度組閣し、日清戦争などにあたる。政友会を創設。1905年(明治38)韓国統監。ハルビンで朝鮮の独立運動家安重根に暗殺された。元老。公爵。(1841~1909)/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)