人生は旅だ

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しつこくちょっかいを出すわん公についに怒りが大爆発!

カメラ目線の大柄の犬と怒られた小柄の犬

空気の読めないお調子者には困ったものである。それはどうやら人間だけに限らず、動物の世界でも共通らしい。相手の様子をしっかり見極めた「さじ加減」が大切なのだろう。本気で怒らせてしまったら、このわん公のように痛い目に合うからだ。

からかい続けるわん公とぐっとこらえるわん公

和室にいる2匹のわん公。一見そっくりな見てくれだが、親子ではないらしい。この組み合わせは性格が正反対のようだ。一匹はまるで悟りを開いたかのような表情をして端座している大柄のわん公。そして、もう一匹が終始落ち着きのない小柄のわん公だ。

小柄のわん公は構ってもらいたいのだろう。体をぐるりと回転させてお尻を勢いよくぶつけてみたり、鼻先で脇腹を突っ突いたりしている。はたまた、背中にまたがって腰を振ったりと、あの手この手で大柄のわん公の気を引こうとしている。とにかく一緒に遊びたくて仕方がない様子だ。

時折うなり声を上げて警鐘を鳴らす大型のわん公。しかし、どこ吹く風の小型のわん公は懲りずにからかい続けている。すると、今まで耐え忍んでいた大柄のわん公が「わん」と一喝。小柄のわん公のきょとんとした表情と大柄のわん公のカメラ目線が対照的で愉快だ。

怒ることの難しさ

稲光で紫色に染まる空

何度伝えても同じことを繰り返し、自らの意図した通りにならず、ついつい悪態をついてしまった経験は誰しもにある。また、失態の責任を転嫁する愚行に、はらわたが煮え繰り返ることもある。

このような状況下では仮に怒鳴るとしても一瞬にすべきだろう。後は彼らが自発的に改善できるのが最善だ。間違えても感情に走り、屈辱や敵意を与えてはいけない。なぜなら、その行為の目的が自らのストレス*1解消ではないからだ。

かつてマザーテレサ*2愛の反対は無関心と言葉にしたことがある。

つまり、「叱咤(しった)*3」の裏側には激励という名の「愛情」が隠れている。そのことを怒る側も怒られる側も決して見落としてはいけないと思うのだ。

(出典:YouTube

*1:【stress】種々の外部刺激が負担として働くとき、心身に生じる機能変化。ストレスの原因となる要素(ストレッサー)は寒暑・騒音・化学物質など物理化学的なもの、飢餓・感染・過労・睡眠不足など生物学的なもの、精神緊張・不安・恐怖・興奮など社会的なものなど多様である。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*2:【Mother Teresa】(本名 Agnes Gonxha Bojaxhiu)カトリック修道女。聖人。オスマン帝国領(現マケドニア)のアルバニア人の家に生まれる。インドのコルカタで貧者・孤児・病人の救済に献身。「神の愛の宣教者会」を設立。ノーベル賞。(1910~1997)/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*3:怒気をあらわして大声でしかること。しかりつけること。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)