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日大アメフト事件!学生スポーツが陥る旧態依然の体質?

アメリカンフットボールの練習を眺める監督

日本大学アメリカンフットボール部の一連の騒動が物議を醸している。学生スポーツの閉鎖的なチーム環境や監督・コーチの絶対的な存在といった特殊性が明るみに出た。反則を犯した選手に非はあるが、それ以上に学生を取り巻く環境の問題点が浮き彫りとなった。

学生スポーツの存在意義

学生にとっての本分は言うまでもなく学業である。学業が中心となり、そこから派生する一つが部活動だ。つまり、「学生スポーツ*1」である。学業が社会に出る上で必要な教養や知識を得るための自己修練の場とするならば、学生スポーツは個人の人間性を磨く場であるといえるだろう。学生スポーツは集団でしか学べない成功を体験できる。一方、集団だからこそ生まれる葛藤や失敗によって帰属意識を芽生えさせる。

今回のいわゆる「日大アメフト*2問題」は反則行為をした学生に責任の一端があったとしても、それ以上に監督・コーチ*3と選手たちとの関係性が、常軌を逸する異常な状況だったのが主因であるのは明白だ。

トップレベルであるほど生まれる特殊な関係性

学生スポーツの経験があれば、その体験が全国大会に出場するような高い水準であればあるほど、「分からなくもない」や「類似した体験をした」などの意見も少なくない。監督やコーチあるいは先輩も含め、学生スポーツはその関係性において特殊な環境が少なからず存在する。時には理不尽な要求や理にかなわない指導をされることは誰しもが体験しているはずだ。

だから、社会人として社会に出たとき、理不尽な状況に立たされたとしても修羅場を踏んできた経験が生かされる。学生時代のように同期に手を差し伸べたり、自分の中でうまく折り合いをつけて乗り切ったりできるのだ。

社会人となった「経験者たち」は日本大学の一連の行動に対し、否定的な意見が大半だ。しかし、学生スポーツの闇を認識し、因習*4を打破する難しさも知っているため、どこか歯切れが悪い。

「日大アメフト問題」は監督・コーチの指導に問題点があったのが大前提だ。反則を犯した選手はいかなる指示があったにせよ、そのプレー*5の危険性を十分に認識していたので非はある。

しかし、選手の出場機会と引き換えに反則を指示した監督・コーチは畜生道に落ちる言語道断の愚行だ。試合に出たい選手の切望を悪用して善悪の判断力を鈍らせ、危険行為に結び付いたのは疑う余地がない。もはやこれは犯罪であり、悪業を厳しく断罪してしかるべきだ。あの試合後に自責の念にかられ、危険行為をした選手の涙が全てを物語っているではないか。

自主性を促す風潮の中でいまだに残る体質

今回の「日大アメフト問題」は監督・コーチの命令は正誤すらも度外視し、絶対的とする旧態依然の体質に驚かされた。全国レベル*6のチーム*7であればあるほど選手たちは監督・コーチの指示に盲目的に従う傾向にあり、その弊害を思い知らせる出来事でもあった。

学生スポーツの監督やコーチは指導者である以前に教育者であることを決して忘れてはならない。無論スポーツに勝ち負けは付き物で、勝利によって得られる達成感が選手たちの能力を飛躍的に向上させることもある。しかし、勝ちや自己の名声に固執するがあまり、選手の人間性を育む場を奪うどころか、善悪までもを捨てさせることは絶対にあってはならない。

一連の問題が生み出した再発の抑止力

「日大アメフト問題」が起きる以前の私見であるが、最近の学生スポーツを見ていて違和感を覚えることがある。それは現代の若者から見れば、「時代錯誤」と一蹴されるかもしれないのだが、先輩に対する「畏怖や服従」が随所で希薄になっていると感じるのだ。今時の学生は先輩を君付けや愛称で呼ぶのも珍しくない。

高校野球でも窮地に追い込まれ、マウンド*8に一同が集まる一幕がある。その際後輩が先輩の緊張をほぐそうと頭をぽんぽんとたたく場面には衝撃を覚えた。

肯定的に解釈するならば、上下関係が寛大になっているように見受けられた。監督やコーチとの関係も一方的な意思決定を指示する管理主義が減りつつある。選手たちが練習メニュー*9を決めるなど、自主性を尊重する練習も脚光を浴びるようになり、「時代は変わった」と感じていたものだ。そう、「日大アメフト問題」が起きるまでは。

学生スポーツが理想的な発展を遂げるため、痛みを伴う通過点と考えるならば、いまだに負の体質が残る指導者や学生スポーツに警鐘が鳴らされたのは確かだ。選手たちの人間性を損なう勝利至上主義の指導は遅かれ早かれ形骸化をもたらし、周囲に必ず表面化する。それは今後の再発防止における強い抑止力となるはずだ。

個人の成長を促す意味で、時には厳しい指導も不可欠だ。しかし、それはあくまでも教育が主目的であるべきであり、そこには「愛情」が込められたものでなければならない。そして、それは選手にも必然的に伝わるものだ。

まとめ

一連の問題を通じて胸が痛むのは反則を犯した選手がどれだけ試合出場を渇望し、自らを追い込んでいたかだ。だから、監督・コーチの異常な指示に対し、正義までをも押し殺し、正攻法をあえて捨て去ってしまったのだ。それが尋常ではない行動の引き金となったのは言うに及ばない。己を恨み、猛省を一体何回繰り返したのだろうか。そして、どのような思いで報道を見つめていたのだろうか。

それでも逃げることなく、自らの過ちを真摯(しんし)に省みたのだ。世間の風当たりは強く、顔と名前を公表するのは「さらし首」にも似た状況であった。しかし、終始堂々とした態度で会見を貫き、偽ることなく謝罪をした学生の行動は潔く貴いものであった。

日大アメフト部は毎年のように全国優勝を狙えるチームだそうだ。つまり、そこでの活躍は日本代表への道にもつながる。さらに、世界の舞台すらも夢ではなくなるだろう。その夢を追う選手たちを預かる指導者は殊更に自らの一挙手一投足が、学生の未来を左右することを理解していなければならない。

「もうアメリカンフットボールはやらない」と謝罪会見で吐露した彼には出場停止が解けてから、同じチームで再起を果たすことを切願したい。そして、一生忘れられない傷を背負った彼にこそ、いつか母校の指導者としてグラウンド*10に立ってもらいたい。失敗したとしても取り返す場がある。高い障壁を乗り越えたときに人は成長する。その環境が備わっていることこそが学生スポーツの目的であり、あるべき姿なのではないだろうか。

私には加害者となってしまった学生のタックル*11が腰から少し下部に力を加減してぶつかったように見えた。あれは彼が見せた「良心と抵抗」だと信じている。

*1:【sport(s)】 陸上競技・野球・テニス・水泳・ボートレースなどから登山・狩猟などにいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*2:【American football】アメリカで考案されたフットボールの一種。11人ずつの二組が攻撃と守備に分かれ、攻撃側が楕円形のボールを相手のエンド‐ゾーンに持ち込むことなどにより、得点を争う。ラグビーと異なり、防具をつけ、ボールをもたない相手をブロックでき、また前方へのパスも可能。米式蹴球。アメ‐フト。アメ‐ラグ。鎧球(がいきゅう)。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*3:【coach】競技の技術や戦術などを指導すること。また、それをする人。コーチャー。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*4:【因習】古くから伝わっている風習。多く、時代に不適なものに非難の意をこめて用いる。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*5:【play】競技。また、競技での動作。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*6:【level】水準。標準。段階。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*7:【team】二組以上に分かれて行う競技のそれぞれの組。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*8:【mound】野球で、投手が投球を行う場所。土を盛って高くしてある。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*9:【menu(フランス)・(イギリス)】用意されている項目や内容。また、その一覧。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*10:【ground】運動場。野球などの競技場。グランド。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*11:【tackle】ラグビー・アメリカン‐フットボールで、ボールを持った相手の主として下半身に組みついて倒すこと。サッカーでは、足を使って相手からボールを奪うこと。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)