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共生の謎を解く!仏教国タイにいる少数派のイスラム教徒

礼拝している少年

仏教国のタイでは全てのタイ人が寺院に参拝している先入観も少なくない。しかし、一定数のイスラム教徒が生活している。タイ深南部の物騒な事件ばかりが注目されがちだが、排他的ではないタイ人の性格も手伝い、異文化同士が比較的良好に共存できているのだ。

タイのイスラム教徒

コーランに記されているアラビア語

タイ*1のイスラム教*2徒は極少数となる。日本国外務省の資料によるとタイ人の94%は仏教*3徒で占められており、5%がイスラム教徒となる。そして、残り1%がキリスト教*4徒となっている。タイは信仰している宗教を役所に届け出なければならず、それによって統計がはっきり表れるわけだ。

タイ深南部であるソンクラー県、パッタニー県、ヤラー県、ナラティワート県に約60%のイスラム教徒が集中しているもの、バンコク*5をはじめとしてタイ各地に居住している。

イスラム教徒と「マイペンライ」

タイ語*6で「大丈夫」や「問題ない」を意味する「マイペンライ(ไม่เป็นไร)」を耳にしたことがないだろうか。事故や病気などの大問題に直面したときにも使われるタイ人特有の寛容さを如実に表現した言葉として周知されている。

しかし、「マイペンライの精神」は仏教の教えから派生した一面もあり、戒律が厳格なイスラム教徒に対して、ただでは済まないこともあるのだ。

食事に見られる違い

コーラン*7の教えにより、イスラム教徒は特定の動物を忌避している。例えば豚は汚れた家畜であり、食することができない。また、意外に知られていないのが「うろこのない魚」も該当することだ。

すなわち、イスラム教徒はタイに住みながら、イサーン(タイ東北部)料理の代表格であるタイ風焼き豚やナマズ料理も口にできないのだ。だから、一緒に食事をする機会がある場合は慎重な配慮をしてあげたい。

偶像礼拝の禁止

イスラム教と他宗教との最大の相違は偶像礼拝の禁止である。所有しないばかりでなく、製造や保管など偶像と関わることも禁忌とされている。タイには仏像や寺院が無数にあるが、イスラム教徒は距離を置いて生活しているといえる。

イスラム教徒のモスク礼拝の習慣

イスラム教徒は毎週金曜日に男性がモスク*8に足を運んで礼拝する。加えて、禁止されている日の出と日の入りの時間を除き、下記の時間帯に1日5回の礼拝が義務付けられており、仏教徒とは異なる生活習慣が必然となる。また、必ず聖地メッカ*9に向かって祈りをささげる。

通常

  1. 明け方から日の出まで
  2. 正午から昼過ぎまで
  3. 昼過ぎから日没まで
  4. 日没直後
  5. 就寝前

旅行中などの例外

  1. 明け方から日の出まで
  2. 正午から日没まで
  3. 日没後から就寝前まで

タイ社会で共存する

タイの住宅地に建立されたモスク

慣習や信仰の異なる人同士が生活空間を共有するのは決して容易ではない。例えばイスラム教徒にとって犬は汚れた動物と認識されている。路傍で寝そべる野良犬が、乱暴に扱われる光景に驚いた旅行者もいるだろう。

一方、タイの仏教徒は千種万様の動物に対し、動物愛護の精神を培うべきと諭している。このように「犬」の扱い一つにおいても考え方が異なるのだ。本稿ではどちらが正しいかを追求する意図はない。相いれない思想にもかかわらず、共生を実現できているタイ社会の現実を伝えたいのである。

スーパーマーケットの豚肉

宗教儀式と無関係の場所でもイスラム教徒は戒律とともに生活しているといえる。前述した豚はイスラム教徒にとって不浄であるため、食べることはおろか触れることも許されないのだ。

従って、買い物の際も気が抜けない。イスラム教徒の多い地区では豚肉の売り場を明確に分離させている店舗も珍しくない。さらに、店員がイスラム教徒だった場合、他宗教の顧客が購入する豚肉をレジ*10で取り扱うときに、毎回手袋をはめてじかに触らないようにしている。

小売業者とタイ政府の努力

イスラム教徒はアルコール飲料*11の摂取も戒めており、豚肉と同様に大抵は売り場が分けられている。スーパーマーケット*12側もイスラム教徒を重要な顧客と位置付けているため、戒律を犯している商品を取ってしまわないよう陳列にも細心の注意が払われている。

タイ政府は世界的な需要拡大を予見し、国策としてイスラム教徒が食べることができる食品へのハラール*13認証制度を促進してきた。その結果ハラールロゴ*14が刻印され、一見しただけで判別できるようになったハラールフードが急増している。

タイのイスラム教徒の生活

内部から見上げたモスク

無論イスラム教徒は仏教徒と異なる風習で生活している。そのため、奇異な雰囲気を醸し出し、孤立無援の生活空間を築いているかのように思われる。しかし、その実はお互いが干渉し過ぎることなく、適度な釣り合いが保たれることで共生が成り立っているように見える。

また、タイ人の大陸的な性格や戒律の厳しい上座部*15仏教に接していたことも少数のイスラム教徒とへの「理解と協調」の一因となっているはずだ。これが日本や英国のような島国であったなら、両宗教間に疎隔が生じる可能性も排除できない。

どっちつかずの領域

現代の多文化多年齢層社会には幾多の習慣や文化が交錯しており、一律の規則や戒律だけで生活できなくなっているようだ。例えばクリスマス*16やハロウィーン*17はタイでも急速に流伝したため、イスラム教徒の店員がキリスト教の習慣とつゆ知らず、サンタクロース*18の格好をしている姿も目にする。

流行している豚肉料理が会員制交流サイト(SNS*19)で話題沸騰になっていれば、イスラム教徒の若者も、ついつい魔が差してしまいそうになるそうだ。どうやら世界的に経済発展に正比例して宗教の順守が寛大化される傾向にあるようだ。

国民行事への態度

前述したように原則として偶像崇拝を禁止しているイスラム教徒だが、一般的な仏教徒のタイ人と比較し、歴史的な余波もあってタイ王室に対する尊崇の念を抱いているとは言い難い。タイ南端の併合に関する歴史は他稿に譲りたい。

また、タイのカレンダー*20には王室や仏教にまつわる祝祭日が数多く設定されているが、当然のことながら温度差が見受けられる。

まとめ

タイに群生する紫色の水ショウブ

多数決が原則の民主主義における少数派はストレス*21にさらされている側面もあるはずだ。仏教国であるタイに存在する少数派のイスラム教徒も風儀の異なる生活に苦労を重ねているだろう。

しかし、アラブ*22やアフリカ*23のように大規模な民族間扮装(ふんそう)や宗教戦争にまでは発展しない。その背景には「寛仁大度*24」なタイ人気質が色濃く影響していると感じた。

そして、双方が譲歩し合うことで絶妙な均衡を保てているのではないだろうか。それは互いが未知の宗教に触れる機会を設け、やがて異文化の交流にもつながっていく。引いては他宗教への敷居を下げることになり、一人間と接しやすくなることで偏見や植え付けられた概念も払拭(ふっしょく)し、個々人の理解を深めるきっかけにもなるはずなのだ。

だから、われわれは嘘八百を並べるどこぞのマスメディア*25がこそこそと捏造(ねつぞう)した色眼鏡を通し、正義の味方だの悪魔の権化だのと物事を短絡的に判断してはいけないのだ。

タイ人による異教徒との共生が教え諭すのは「自分自身で感じること」ではないだろうか。

*1:【Thai・泰】(Thailand)インドシナ半島中央部にある王国。旧称シャム。13世紀以後タイ人の国が起こり、先住のモン人・クメール人などを合わせ、1782年現ラタナコーシン王朝が成立、1932年立憲君主制。面積51万3000平方キロメートル。人口6598万2千(2010)。国民の大多数が仏教徒。首都バンコク。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*2:世界的大宗教の一つ。610~632年頃、ムハンマドが創始、アラビア半島から東西に広がり、中東から西へは大西洋に至る北アフリカ、東へはイラン・インド・中央アジアから中国・東南アジア、南へはサハラ以南アフリカ諸国に、民族を超えて広がる。サウジ‐アラビア・イラン・エジプト・モロッコ・パキスタンなどでは国教となっている。ユダヤ教・キリスト教と同系の一神教で、唯一神アッラーと預言者ムハンマドを認めることを根本教義とする。聖典はコーラン(クルアーン)。信仰行為は五行、信仰箇条は六信にまとめられる。その教えは、シャリーア(イスラム法)として体系化される。法学・神学上の違いから、スンニー派とシーア派とに大別される。中世には、オリエント文明やヘレニズム文化を吸収した独自の文明が成立、哲学・医学・天文学・数学・地理学などが発達し、近代ヨーロッパ文化の誕生にも寄与した。三大聖地はメッカ・メディナ・エルサレム。回教。マホメット教。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*3:(Buddhism)仏陀(釈迦牟尼)を開祖とする世界宗教。前5世紀頃インドに興った。もともとは、仏陀の説いた教えの意。四諦の真理に目覚め、八正道(はっしょうどう)の実践を行うことによって、苦悩から解放された涅槃の境地を目指す。紀元前後には大乗仏教とよばれる新たな仏教が誕生、さらに7~8世紀には密教へと展開した。13世紀にはインド亜大陸からすがたを消したのと対照的に、インドを超えてアジア全域に広まり、各地の文化や信仰と融合しながら、東南アジア・東アジア・チベットなどに、それぞれ独自の形態を発展させた。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*4:(Christianity)紀元30年頃北パレスチナで福音を述べ伝えたイエスをキリスト(救い主)と認め、その人格と教えとを中心とする宗教。世界三大宗教の一つ。十字架上で処刑されたイエスの復活という理解し難い経験をした弟子たちは、聖霊を与えられて「イエスはキリストである」と悟り、これを述べ伝えた。神を父と子と聖霊の三位一体として捉え、父なる神は人間に対して、世界の中に受肉した子イエス=キリストにおいて直接に自らを啓示したと信じる。人間の救いは、信仰の恵みにより神の三位一体の愛の交わりに招き入れられることにあるとする。根本的教えは、正義と慈愛とにみちた神、人類の罪とキリストによる贖罪(しょくざい)、隣人愛。旧約・新約聖書が教典。1世紀中頃より各地に広がり、381年にローマ帝国の国教となって以後ヨーロッパ文化の根幹をなし、世界史への影響も大きい。総信徒数は20億を超える。耶蘇(ヤソ)教。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*5:【Bangkok】タイ王国の首都。メナム(チャオプラヤ)河口近くにある。米・チーク材などの貿易港として発展、同国の商工業の中心。クルンテープ(「天使の都」の意)で始まる長い正式名称を持つ。人口830万5千(2010)。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*6:(Thai)タイ王国の公用語。カダイ語族タイ語派に属する。文字はクメール文字の系統に属する独自の体系。シャム語。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*7:【Koran】(Qur’ān(アラビア)「読誦されるもの」の意)イスラムの聖典。ムハンマドの受けた啓示を結集したもの。イスラムの世界観・信条・倫理・行為規範をアラビア語の押韻散文で述べ、114章から成る。現行の底本は第3代カリフのウスマーンの結集(7世紀)に基づく。クルアーン。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*8:【mosque】(masjid(アラビア)から)イスラムの礼拝堂。内部にはミンバル(minbar)という説教壇と、ミフラーブ(miḥrāb)という壁龕(へきがん)とがある。ミフラーブはカーバ聖殿のあるメッカの方向を示し、そちらを向いて礼拝を行う。付属建築として外郭には数個のドームおよびミナレットを設ける。マスジド。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*9:【Mecca】サウジ‐アラビア西部、ヒジャーズ地方の都市。ムハンマドの出生地で、カーバ神殿があり、イスラム第一の聖地として多数の巡礼者が訪れる。人口153万5千(2010)。マッカ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*10:【register】自動金銭登録器。金銭計算器。レジスター。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*11:アルコールを含有する飲料。清酒・焼酎・ビール・ワイン・ウィスキーなどの酒類の総称。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*12:【supermarket】主に食料品・日用品を扱い、買手が売場から直接商品を籠に入れ、レジで代金を支払うセルフ‐サービス方式の大規模店。スーパー。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*13:【ḥalāl(アラビア)】イスラム法で許されたもの。特に、食品に関する規定の要件を満たしているものをハラール食品という。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*14:【logotype】社名やブランド名の文字を個性的かつ印象をもたれるように,デザインしたもの。ロゴタイプ。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*15: 紀元前三世紀頃,大衆(だいしゆ)部に対立して生まれた,長老上座を中心とする一派。戒律を厳守し,事物の実在を重視する傾向をもつ。のちに説一切有(せついつさいう)部,本上座部に分裂,その後も分派を生み,一一派となった。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*16:【Christmas; Xmas】(Xは「キリスト」のギリシア語表記の頭字。masは祭日の意)キリストの降誕祭。12月25日に行う。ミトラ教の太陽神の新生を祝う「冬至の祭」をキリスト教が取り入れ、利用したものとされる。聖誕祭。降誕祭。ノエル。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*17:【Halloween】諸聖人の祝日の前夜(10月31日)に行われる祭り。スコットランド・アイルランドのケルト的伝統に起源を持つ収穫祭で、魔除けの意味を持つ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*18:【Santa Claus】(4世紀頃の小アジア、ミュラの司教聖ニコラオスのオランダ語方言 Sante Klaas の転訛語)クリスマスの前夜、子供たちに贈物を配って行くという赤外套・白いひげの老人。この話はもとアメリカに移住したオランダ人によって伝わり、クリスマスに贈物をする習慣と結びつき、世界各国に広まった。サンタ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*19:(social networking service)インターネット上の会員制サービスの一種。友人・知人間のコミュニケーションを円滑にする手段や、新たな人間関係を構築する場を提供する。企業や政府機関でも情報発信などに活用される。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*20:【calendar】暦(こよみ)。七曜表。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*21:【stress】種々の外部刺激が負担として働くとき、心身に生じる機能変化。ストレスの原因となる要素(ストレッサー)は寒暑・騒音・化学物質など物理化学的なもの、飢餓・感染・過労・睡眠不足など生物学的なもの、精神緊張・不安・恐怖・興奮など社会的なものなど多様である。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*22:【Arab】アラブ人。また、アラブ諸国の総称。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*23:【Africa・阿弗利加】(ローマ人がカルタゴ隣接地方を呼んだ語。のち南方の大陸全土を指した)六大州の一つ。ヨーロッパの南方に位置する大陸。かつて暗黒大陸といわれ、ヨーロッパ列強の植民地であったが、第二次大戦後急速に独立国が生まれ、その数は周辺の島嶼国も含めて約55。イスラム世界の北アフリカとサハラ以南アフリカとに大別される。面積3031万平方キロメートル。人口11億9千万(2015)。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*24:寛大でなさけ深く、度量の大きいこと。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*25:【mass media】マス‐コミュニケーションの媒体。新聞・出版・放送・映画など。大衆媒体。大量伝達手段。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)