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目に見えない攻撃?盗塁ではない「走塁」が試合を制する!

本塁に滑り込んで生還する走者

野球において盗塁はバッテリーに精神的重圧をかけ、試合の主導権を握るプレーになり得る。しかし、数字に表れない走塁にも、試合を決定づける力があるのだ。元読売ジャイアンツで「代走の専門家」と絶賛された鈴木尚広氏のプレーを中心に探っていきたい。

「走らない」無言の精神的重圧

通算228盗塁を誇る巨人の鈴木尚広氏は200盗塁以上を記録した選手の中で歴代1位の8割2分9厘という脅威の成功率を残した。

そのうちの132回が代走での記録であり、試合終盤の1点を争う場面での成功が多かった。「必ず走る」と守備側に用心される中での記録である。つまり、スターティングメンバー*1出場の選手たちが残したものとは意味合いが異なってくるのだ。

しかし、鈴木氏は盗塁することが大事なのではなく、自らがホームに生還し、得点が入ることが重要なのだという。もちろん走者一塁の場合、得点圏に進む盗塁は得点につながる有力な作戦である。警戒をかいくぐっての盗塁はより効果的であり、相手チームが受ける痛手は甚大になる。ところが、鈴木氏は「走らない」選択肢も持っているのだ。

2015年5月15日の「東京ヤクルトスワローズ」対「読売ジャイアンツ」戦。0対0で迎えた7回裏、巨人の攻撃。先頭の亀井善行選手がヒット*2で出塁し、原辰徳監督は代走に鈴木選手を送る。次打者は坂本勇人選手、ピッチャー*3は小川泰弘投手である。

盗塁の絶好の好機から小川投手は盗塁に細心の注意を払い、牽制球を送る。大きなリード*4を取り、「走るぞ」と揺さぶりをかける鈴木選手。盗塁の臭(にお)いが消えないので、小川投手はもう一度牽制球を送る。

それを見た原監督は「打て」のサイン*5を出すことを決断する。坂本選手も走者に過剰反応するバッテリー*6が盗塁を刺しやすいストレート*7中心の配球になることを読み、狙い球を絞る。そして、狙い澄ましたストレートをレフトスタンド*8に運び、試合を決めた。

同点で迎えた終盤、一死一塁であれば送りバント*9も十分考えられる場面だ。そこで要点となったのは鈴木選手の「盗塁を醸成」する無言の攻撃だ。事実小川投手は鈴木選手を嫌がっており、打者にだけ集中することを大きくかき乱されていた。そこで打者が送りバントをするのはバッテリーを楽にさせる結果にもなり得る。

代走の起用によりバッテリーの意識を走者に向けさせ、強行を選択した原監督と甘い球を見逃さずに打ち返した坂本選手にはあっぱれである。しかし、そのお膳立てには鈴木選手の足の精神的重圧という「無形の力」がなければ、成り立たない作戦であったことは確かだ。

走者が主導権を握る盗塁

鈴木選手の盗塁成功率をピッチャーの左右別に見ていくと、左からの成功率が他の選手に比べて飛び抜けて高い。

対左右投手別二塁盗塁成功率(2012年~2016年の日本プロ野球)

年度 対左投手 対右投手
2012 .639 .650
2013 .625 .703
2014 .636 .671
2015 .613 .649
2016 .603 .700

※走者が一塁のみの状況を対象

対左投手二塁盗塁成功率ランキング(2012年~2016年の日本プロ野球)

順位 選手名 チーム名 盗塁成功率
1 鈴木尚広 巨人 .938
2 荒波翔 DeNA .846
3 山田哲人 ヤクルト .824
3 陽岱鋼 日本ハム .824
5 萩野貴司 ロッテ .810

※走者が一塁のみの状況を対象 ※盗塁企図数が10以上の選手を対象

(出典:BASEBALL GATE

基本的に盗塁は一塁に背中を向けている右ピッチャーからの方が、成功率が高いとされている。左ピッチャーは一塁に正対しているため、走者の動きをたやすく捉えることができ、牽制をしやすいからだ。

ところが、鈴木選手には大原則が当てはまらない。むしろ左ピッチャーの方が走りやすいとまで話す。鈴木選手は左ピッチャーの場合、目を見てそらさないそうだ。牽制球を投げてこいと精神的重圧を与えるのだという。

つまり、盗塁を巡る攻防の主導権を鈴木選手が握り、ピッチャーを飲み込んでしまうのだろう。そうなるとピッチャーは通常のリズム*10を維持できなくなるはずだ。ちょっとした気持ちの動揺が打者に対しての投球を甘くさせる。さらに、追い討ちをかけるように盗塁を決められるのだから心中察するに余りある。

9人の打者で倒そうとするピッチャーを1人の走者が活路を開いていく。相手エース*11に打線が抑えられ、手も足も出ない展開であっても、「足」という武器で攻略の糸口をつかむ。セイバーメトリクス*12に始まるバントを嫌う流れや積極的に打っていくことを重視する現代野球において、失ってはならない重要な作戦の一つであることを再認識するべきではないだろうか。

試合を決める走塁

鈴木選手といえば「神走塁」としてたたえられている奇跡のホームイン*13を欠かすことはできないだろう。2014年7月15日のヤクルト戦。延長12回裏に代走で出場した鈴木選手が橋本到選手のライト*14前ヒットで本塁に生還した場面だ。

橋本選手の打った打球はファースト*15がダイビングキャッチ*16するも、グローブ*17に当たり、ライト方向へゆっくりと転がっていく。しかし、ヤクルトの外野陣は前進守備を敷いていたため、ライトの雄平選手はすぐに打球を拾う。捕球したのはセカンド*18の定位置やや後方辺りである。そして、間髪いれずに本塁に送球するも、既に韋駄天(いだてん)が駆け抜けた後だった。

ヤクルトの守備陣には一連の流れで落ち度を確認できない。むしろ最速で本塁に送球しているくらいだ。つまり、鈴木選手が全く無駄のない動きで本塁を陥れたことになる。

橋本選手が打った球は高めなので、通常だとフライ*19の可能性が高くなり、走り出すのをちゅうちょしてしまいがちだ。ところが、ゴロだと判断し、踏み出す一歩目が異常に速い。バット*20に球が接触した時点で走り出していると思わせるほどだ。

そして、速度を一切緩めることなく、三塁を回っている。この時点でライトの雄平選手はセカンド後方の位置でボールを拾おうとしているタイミング*21だ。無謀とも取れるこの状況下で、本塁突入の腕を回した三塁コーチは鈴木選手の足をよほど信用していたのだろう。走者も守備の確認に重きを置くと減速してしまいかねないが、一気に加速していくところにコーチとの信頼関係が透けて見える。

そして、本塁に送球された時、鈴木選手はいまだキャッチャー*22の手前にいる。そのまま突っ込めば本塁で憤死必至だ。しかも、コリジョンルールが適用される前だったため、キャッチャーは本塁を完全に隠してブロック*23の姿勢を取っている。しかし、それをかいくぐり左手でベース*24の一片を掃くかのように触れる技術はまさに職人技であった。

この奇跡の生還は足が絶大な戦力となることと、走塁の重要性を改めて知らしめた場面であった。鈴木選手が神と表現され、さらに相手チームから「嫌な選手」と認知されるようになったのはこの時からではないだろうか。

まとめ

大リーグ*25からわたってきた「セイバーメトリクス」が全盛となり、得点率が低くなるとされるバントを用いないことや、2番に強打者を据えることが標準となりつつある日本プロ野球界。

さらには「フライボール革命」も広がりを見せており、ゴロ*26を打つことさえも避ける考えも広がっている。そのため、攻撃における作戦は専ら打っていくことが中心となっている。盗塁をはじめとした走塁でピッチャーに精神的重圧をかけ、駆け引きにより相手チームを攻略していく。そのような日本野球の特徴が失われつつあるように感じる。

「ただ打つ」「ただ投げる」だけではない部分に玄人の技が光ることこそ日本の「野球」の最大の強みであるはずが、いつしか大リーグの後追いになっていることに強い危機感を覚えるのだ。

こうした「無形の力」に目が向けられ、それが毎試合のように高い水準で競われるのが神髄であるはずだ。日本の野球が「野球」であるために。

わしらプロ野球選手は芝居の役者と同じ。

これは元阪神タイガースの強打者である故藤村富美男氏の名言である。野球ファンの数が選手のやる気につながることを見事に表現している。

ただし、プロ野球選手の中にはサインの再確認をしたり、狙い球を空振りをしたりする「本物の役者」がいることも忘れない方が良さそうだ。

*1:【starting member】試合開始時の出場選手。先発メンバー。スタ‐メン。スターティング‐ライン‐アップ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*2:【hit】野球で、安打。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*3:【pitcher】野球で、打者にボールを投げる人。投手。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*4:【lead】野球で、走者が次の塁をうかがって塁を離れること。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*5:野球などで、味方どうしで交わす手振りなどによる指示。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*6:【battery】野球で、投手と捕手との組合せ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*7:【straight】野球で、カーブなどの変化球に対して直球。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*8:【stand】競技場の観覧席。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*9:野球で、走者を次の塁に進めるために行うバント。犠牲バント。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*10:【rhythm】周期的な動き。進行の調子。律動。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*11:【ace】スポーツで、チームの主力選手。特に、野球チームの主戦投手。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*12:【sabermetrics】野球データを統計的に分析し,選手の評価や戦略の立案などを行う手法の一。野球の伝統的戦略に新しい価値(犠牲バント・盗塁の効力は小さいなど)を与えたほか,選手の過去の成績から将来の成績を予測する手法も開発された。大リーグでは近年,これを実戦に採り入れるチームも登場している。〔アメリカ野球学会(Society for American Baseball Research)の略である SABR と,metrics(測定基準)からの造語〕/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*13:(和製語 home in)野球で、走者が本塁に生還し、得点すること。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*14:【right】(right field; right fielder)野球で、右翼。また、右翼手。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*15:【first】(ファースト‐ベースの略)野球で、一塁。また、一塁手。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*16:【diving catch】野球で,打者の打った球を体を投げ出して捕らえること。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*17:【glove】野球の捕球用革手袋。5本指のもので、捕手・一塁手以外の者が用いる。グラブ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*18:【second】(セカンド‐ベースの略)野球で、二塁。また、二塁手。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*19:【fly】野球で、打者が打ち上げたボール。飛球。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*20:【bat】野球・ソフトボール・クリケットなどで、球を打つ棒。また、卓球のラケット。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*21:【timing】適当な時を見はからうこと。時宜を得ること。また、ちょうどよいころあい。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*22:【catcher】野球で、本塁の後方にいて、投手の投球を受け、また本塁の守備に当たる人。捕手。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*23:【block】競技で、相手の動きを妨害したり攻撃を封じたりすること。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*24:【base】野球で、塁(るい)のこと。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*25:(major league)アメリカ二大プロ野球リーグのこと。アメリカン‐リーグとナショナル‐リーグで構成。メジャー‐リーグ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*26:(グラウンダーの略訛か)野球で、地上を転がる打球。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)