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技術者ジアコーサ氏からたどるフィアット・500までの道筋

生前のダンテ・ジアコーサ氏

内燃機関を動力に用いた自動車が大きく発展途上にあったのは1980年代中盤までであった。その時代に開発に携わった技術者たちの列伝は興味深い。それでは、フィアット・500の先代に当たるヌォーヴァ 500の生みの親であるダンテ・ジアコーサ氏をご紹介しよう。

現行フィアット・500がFFになったのには訳がある

斜め前方から見たフィアット・500 トッポリーノ

ホンダ創業者の本田宗一郎氏やスバル・360やサンバーを世に送り出した百瀬晋六氏など、自動車開発そのものが発展途上にあった時代の技術者たちには興味深い。これまで度々フィアット・500についてご紹介してきたが、周知の通り先代ヌォーヴァ 500抜きには語れないモデル*1である。海を越えた技術者からも同様に、独創性をはじめとして情熱や造詣の深さなどを垣間見ることができる。

ヌォーヴァ 500の生みの親は、フィアットの技術者でありデザイナー*2であったダンテ・ジアコーサ氏である。ジアコーサ氏は1905年生まれで1996年に他界された。1928年にフィアットに入社し、その類いまれな才覚を認められて数々の車種をデザイン*3した。そして、1950年にはフィアットの役員となる。1970年までフィアットで常勤として勤めた後、技術者としての社内幹部および全体の相談役として従事する。また、国内外の企業に対する大使役としても活躍した人物であった。

ジアコーサ氏の手による車種はさまざまあるが、「初代フィアット・500」、「フィアット・600」、「ヌォーヴァ 500」、そしてフィアット傘下のアウトビアンキから発売された「プリムラ」を参考としつつ、話を進めていきたい。

現行のフィアット・500は2003年に発売された同社の2代目パンダなどともプラットフォーム*4を共有する。共用プラットフォームが世界的に一般的となっている昨今、フィアット・500も時流によってFF*5になったのは疑いのない事実である。ここだけを切り取って見てしまうと、「外観だけを再現したフィアット・500」と評されてしまいそうだ。

しかし、「トポリーノ」こと初代フィアット・500がFR*6、ヌォーヴァ 500がRR*7に変遷し、現行フィアット・500のFFに行き着いたのには理由があり、ジアコーサ氏の思想も受け継がれているのだ。次項からそれについてご紹介していく。

乗用車創世記から初代500を経由してヌォーヴァ 500へ

斜め前方から見たフィアット・600

車に詳しい方であれば、FFの構造で「ジアコーサ式」を耳にされたことがあるだろう。構造は後述するが、今回ご紹介しているジアコーサ氏の名字から紛れもなく命名されたものである。

内燃機関を搭載した自動車の始まりとしては1885年ドイツ*8のゴットリープ・ダイムラー氏およびカール・ベンツ氏が各々製作した車両が有名だ。1908年米国フォードが「T型フォード」で初めて大量生産に成功し、以降大衆への自動車の供給されていった。T型フォードは1927年までの20年間弱にわたって製造販売され、乗用車の基本形をつくった車種だ。基本構造ははしご型フレーム*9に前後横置きリーフスプリングのFR駆動であった。

ジアコーサ氏はT型フォード生産終了から1年後の1923年、23歳のときにフィアットに入社した。その5年後の1933年には初代フィアット・500のシャシー*10を含む機械部分の設計を担当している。初代フィアット・500は1936年に発売され、はしご型フレームのFR駆動であり、T型フォードの影響が色濃く見られる。しかし、4輪油圧式ブレーキ*11、569cc*12水冷4気筒OHV*13エンジン、前輪独立式サスペンション*14などを用いた大変高度な仕様であった。

その後世界は大東亜戦争を経験することになったが、戦争後にジアコーサ氏は「戦後型」と俗称されるモノコックボディー*15を持つフィアット・1400、フィアット・1100などを世に放った。これらの車格では従来のFR駆動方式を採用している。 
そして、1955年には初代フィアット・500の後継車であるフィアット・600が発売された。小さな車体に4人乗車を可能とするため、最大限の空間利用が考慮されてフィアット初のRR駆動の誕生となった。もちろん戦後型モノコックボディーで、633cc・767cc水冷4気筒OHVエンジン、サスペンションもぜいたくな4輪独立懸架を採用した意欲作であった。

ジアコーサ氏が携わった初代フィアット・500と19年後のフィアット・600を見ると、それぞれ当時の先端技術を採用していたのがよく分かる。1957年発売のフィアット・500もフィアット・600の基本構造を共有するが、原価切り下げ一辺倒な479cc空冷2気筒OHVエンジンだけは大きく見劣りし、ジアコーサ氏のこれまでの手法と異なっている。通りでジアコーサ氏が、このエンジンだけは「屈辱だった」と後述したわけである。

世界中のFF車は、「ジアコーサ式」構造を採用

屋外を走行する側方から見た赤色のアウトビアンキ・プリムラ

フィアット・500が登場した2年後の1959年に英国で初代ミニが登場した。この車はご存じの通りFF駆動を採用し、FFを世界中に広める立役者となったといわれている。

FR駆動の場合、ボンネット*16内に縦置きエンジン、その後ろにトランスミッション*17、プロペラシャフト*18、ディファレンシャルギア*19と順序よく配置できる。さらに、操舵(そうだ)を担う前輪は駆動系とは別個であるため、設計も比較的たやすい。それに比べFFではボンネット内に全てを収納するのが不可欠だ。そのため、FF開発初期には配置をどのようにするかが一大課題であった。

今日では「FF = 横置きエンジン」の印象が強い。しかし、ミニが出現する以前は縦置きエンジンのFFが多く見られた。ただし、この構造はスバルやアウディが今でも採用している。ミニは横置きエンジンとされ、トランスミッションはエンジンの下に配置された。この方式をミニの設計者アレック・イシゴニス氏の名前から「イシゴニス式」という。

ミニ登場を契機にジアコーサ氏もFFを設計するようになる。ジアコーサ氏作のFFは1964年にフィアット傘下のアウトビアンキからプリムラの車名で登場した。ジアコーサ氏は横置きエンジンの隣接してトランスミッションを配置する方法を開発し、「ジアコーサ式」と称されるようになった。イシゴニス式は構造が分厚くなるのに対し、ジアコーサ式はエンジンの厚み分だけで済む利点があり、エンジンの出力軸から真っすぐトランスミッションにつながる構造は理にかなっている。このような長所からもジアコーサ式は現代まで続くFF車の世界標準して決定的なものとなった。

まとめ

自らがデザインした自動車とともに映るダンテ・ジアコーサ氏 -

初代フィアット・500からアウトビアンキ・プリムラまで、設計者ジアコーサ氏を軸にして解説してきた。ジアコーサ氏の一貫した思想。それは時代における先駆的かつ挑戦的なものであった。同じ車種の後継車が似たような構造を後継するような安直な考えは、一蹴されてしまうはずだ。

ちなみに、フィアット・600は同じ車体を用いてフィアット・850まで発展した。その後継車として1971年に発売されたのがフィアット・127で、これがジアコーサ氏が設計に携わった最後の車種であるそうだ。駆動方式は言わずもがな「ジアコーサ式FF」である。この車種は翌年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

ジアコーサ氏は1996年に他界され、ヌォーヴァ 500の誕生50周年を記念して現行フィアット・500が発売されたのは2007年のことである。ジアコーサ氏がご存命であれば、「なぜフィアット・600を冠さないのか」と指摘するかもしれない。

現行フィアット・500も当然ジアコーサ式FFを採用しており、これは至極正当な選択だったのかもしれない。RRとしてフィアット・500をよみがえらせてほしい個人的希望はあるが、ジアコーサ氏とFFの背景を考えると、敬意を払ってしかるべきであろう。

夢の夢になってしまうが、偉大な先駆者ジアコーサ氏の功績をたたえて「フィアット・600」の復刻を検討してもらいたいものだ。せめて限定車の名称に誇り高き威名をとどろかせてはどうだろうか。

(出典:Fiat Chrysler Automobiles

*1:【model】型。型式(かたしき)。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*2:【designer】衣服や器物・建築物などのデザインの考案を職業とする人。図案家。設計者。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*3:【design】意匠計画。製品の材質・機能および美的造形性などの諸要素と、技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*4:【platform】〔立つための台の意〕自動車生産で,異なった車種の間で共通に用いる車台。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*5:(front engine front drive)自動車で、車体前部にエンジンを置き、前輪を駆動する方式。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*6:(front engine rear drive)自動車で、車体前部にエンジンを置き、後輪を駆動する方式。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*7:【和製語rear-engine, rear-drive】後部エンジン後輪駆動。自動車の後部に搭載したエンジンによる後輪駆動方式。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*8:【Duits(land)(オランダ)・独逸】(Deutschland(ドイツ))中部ヨーロッパのゲルマン民族を中心とする国家。古代にはゲルマニアと称した。中世、神聖ローマ帝国の一部をなしたが、封建諸侯が割拠。16世紀以降、宗教改革・農民戦争・三十年戦争・ナポレオン軍侵入などを経て国民国家の形成に向かい、1871年プロイセンを盟主とするドイツ帝国が成立。のち第一次大戦に敗れて(ワイマール)共和国になったが、1933年ナチスが独裁政権を樹立して侵略政策を強行、第二次大戦を誘発、45年降伏、49年東西に分裂。90年ドイツ連邦共和国として統一。言語はドイツ語で、プロテスタントがカトリックよりやや多い。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*9:【frame】自転車・自動車などの車体枠。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*10:【châssis(フランス)・chassis(イギリス)】自動車などの車台。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*11:【brake】車両その他機械装置の速度・回転速度などを抑えるための装置。手動ブレーキ・真空ブレーキ・空気ブレーキなどがある。制動機。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*12:(cubic centimetre)立方センチメートルを表す記号。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*13:【overhead valve】頭上弁式。自動車のシリンダーに付いている吸入排気弁の配置の一方式。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*14:【suspension】車輪に車体を載せ付ける装置。路面の凹凸を吸収し、車体の安定性、乗り心地をよくする。懸架装置。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*15:【monocoque body】自動車などの,車体とフレームとが一体化した構造。フレームレス-ボディー。単体構造。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*16:【bonnet】自動車の前部の機関部のおおい。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*17:【transmission gear】自動車などの変速装置のギア。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*18:【propeller shaft】エンジンの動力を伝える回転軸。後輪駆動の自動車では、通常、車体前部にある変速機と車体後部にある差動歯車とをつなぐ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*19:二つの歯車軸のそれぞれにかかる負荷の違いに応じて、二つの軸の回転数に差をつけて動力を伝達する歯車装置。自動車が進行方向を変えたとき、左右の駆動輪の回転数に差をつけるのに使用。差動歯車。デフ‐ギア。デフ。/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)